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原爆の惨状を語らなかった祖父

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~脱鎧~心軽やかに未来を創るお手伝い「ミライ クリエイト コーチ」です!

 

8月6日は広島は祈りの日です。

 

母方の祖父は呉の海軍にいました。

74年前の86日。

祖父は呉でキノコ雲を見たと言っていたと母から聞きました。

 

当時、6歳だった母は呉の祖母の実家にいましたが、
呉は空襲で危ないと祖父の実家がある山口県の山奥に疎開していました。

 

私は小さい頃から祖父から戦争の話を聞かされていました。

でもそれは優位に立っている時のことばかり。

勝っとる時は面白かったけどのぉ。。。で話はいつも終わっていたような気がします。

 

山口県の山奥で生まれ育って海を見たことがなかった祖父。

宮島の対岸から宮島まで泳がされ、溺れるのを助けてもらいながら
なんとか最後に泳ぎ着き、弥山に走って登ったら
1番だったというのが自慢でした。

そんな経験から、今の若いものはつまらん!が口癖でした(-_-;) 

 

親戚が集まっていても、祖父の戦争の話が始まると
みんな用があるといなくなり、逃げ遅れてしまった私がいつも聞き役

93歳まで生きた祖父ですが、亡くなる10年ぐらい前に
今まで聞いたこともない体験を話し出しました。

ずっと胸の奥にしまっていたことを誰かに話しておきたかったんだと思います。

 

南の島に部下を連れて上陸した時のこと。

島に敵はいないと聞いて安心していたのに敵が隠れていて、一斉掃射されたそうです。

20人くらい(多分?)いた部下のうち、1人だけが祖父と命からがら船に乗ったそうです。

船長がすぐに船を出してくれて助かったのですが、港に戻っても船はスピードを落としません。

おかしいと思ったら、その船長は息が絶えていたそうです。

最後の力を振り絞って祖父たちを助けてくれたのです。

 

たくさんの部下の命を無駄にしたことが心残りで、遺族に謝りに行きたいと言いましたが
高齢だったし、叶わぬ夢に終わりました。

 

その話を母に話したところ
「でも原爆の話は聞いたことないじゃろ?」と聞かれ
確かに聞いたことはない。
母も聞いたことがないそう。

 

呉の海軍にいたのだから、広島に救護のため入ったはずです。

「話したくないほど酷かったんじゃろうね」と母。

 

戦後産まれた母の妹、叔母は小さい頃から身体が弱く、子供の頃から入退院を繰り返しています。

それも原爆のせいじゃろうね。と母は言ってます。
(確かなことはわかりませんが。。。)

 

祖父が原爆投下後、いつ広島に入って何をしたのかは今となってはわかりません。

話したくなったら、いつか話すかも?ぐらいに思っていましたが
無理してでも聞いとけば良かったなと思います。

 

山口で生まれ育った私が広島で暮らしているのも何かの意味があるのかもしれません。

「原爆の絵」※やいろいろな証言を見ながら、
祖父はどんな気持ちでいたんだろうか?と想像するしかありませんが。。。

※被爆体験証言者の記憶に残る光景を、広島市立基町高等学校生徒と被爆体験証言者が共同で絵を制作しています。
作品はこちらから
(広島平和記念資料館HPより)

 

ここに忘れてはいけない記録として残したいと思います。

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